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lost umbrella

会社の帰りに雨が降っていた。鞄の中の折り畳み傘を探す。無い。親に「家に折り畳み傘を忘れてしまったかもしれない」と連絡する。「家には無い」という返信が来る。オフィスの机の下を探す。無い。鞄をひっくり返す。無い。ものが手から離れていく時、当然全く音はしない。「失って初めて気づく大切なもの」という表現があるが、正しくは「必要としているものがそこには無くて困る、あるいは悲しむ」である。必要としているもの、大切にしているもので無いと失ったことにすら気づかない。

環世界(Umwelt)という概念がある。生物は与えられたシグナルから成る世界を生きる。例えばダニは視覚も聴覚もないが、非常に発達した嗅覚と温度感覚を持ち、それに従い行動する。コウモリは目が見えない代わりに超音波の反響で世界を把握する。生物ごとに知覚し、意味づけている世界は異なる。詳しくはユクスキュルの生物から見た世界に譲る。

私は「物が手元から離れるとき、それに気がつかない」環世界に生きている気がする。他のみんなは自分よりもものを無くさない。それはみんなが実は傘が鞄からこぼれ落ちた時にミューと鳴く声が聞こえているのかもしれない。そんなわけないと思うけど。

私は見える、聞こえる、感じる光景は意識や心持ち、知識によって編集し自分なりの環世界として捉えることができるものだと思っているし、それが人生の面白いところだと思っている。ただ、知覚できないものはどう頑張っても自分の世界に入ってこない。そんなことを強烈に自覚させるから、ものを無くすというイベントの度にとても落ち込む。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.

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