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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

月曜日

  • 来年に向けてやりたいことリストを作成した。
  • Xでやりたいことリストで検索したら100個を目処に書いている人が多いけれど、一年って365日しかないじゃんって思う。ただリストの完遂率はリストの個数に依拠しないような気もする。やりたいことリストが10個なら4個、100個なら40個、1000個なら400個程度みたいな感じで。だからとにかくやりたいことリストを水増ししまくることも悪くないのかもしれない。

火曜日

  • Morning note という概念があることを知った。とにかくPCを開いて何かを書くという作業をすることで研究や仕事に対する心理的障壁がちょっと減りそうだから続けてみようかな。
  • くら寿司に行った。ビッくらポンの確定演出が見られて良かった。

くら寿司の確定演出

  • これをどうにか書ききった。間に合って良かった~~~

水曜日

おせち

  • あけましておめでとうございます。
  • 2024は最後まで2024という文字列に対して慣れなかった。一方、2025は既に自分の脳に馴染んでいる。あと3年くらい「今って2025年」って思うのかもしれない。
  • 毎度思うが凝りすぎて怖い。
  • やりたいことリストを作成した。大まかな今年の抱負だけど、多分毎月作ったほうがいい気がする。修論終わってから1月分をつくるか……

木曜日

  • 家族は祖父母の家に日帰りで向かった。自分は修論があるのでお留守番。たかだか日帰りなので行けばよかったかもなとも思うけれど、失われるのは時間だけでなく体力もということを考えると行かなくてもよかったかもしれない。また春以降に行きます。
  • 作業が捗ったかと言われるとちょっと微妙。下宿や研究室との明確な差として、モニターがないので一画面でやりくりしなければならない。執筆中だとこれが結構面倒。wordの分割機能はなぜか縦分割である。それは誰が得をするんだ?

grokの使い方

  • grok の正しい使い方わかったかも。あの日TLで見たコンテンツを思い出すというX特化検索ツール。
  • 検索というものがgoogle 検索のような単語ベースのものから、perplexity や ChatGPT のような文章ベースのものに移り変わってきている気がするし、実際かなり便利。

金曜日

  • obsidian の web clipper が予想以上にかなり便利であることを実感した。複数端末の同期も obsidian git が解決してくれる。先人の技術に感謝。
  • 修論のやる気が出ない。三が日だからかな。なんか日が登っている時間帯に有益なことをやる気になれない。春からの社会人生活大丈夫なのか?
  • これすき。

土曜日

ミスド

  • 誕生日に友達からもらったミスドのクーポンを使い購入。地元のミスドはキッチンが無いからかあまり品揃えが良くなかった。
  • 実家の重力が強すぎる!!! なので京都に戻ってきた
  • 小学校のクラス会の写真が送られてきた。参加している人たちの顔を見て、その人達との思い出が何も浮かび上がらない。
  • これは自分が悪い。小学校、中学校、高校、どの時点をとっても各エピソードの記憶が薄い。周りのみんながこんなことあったよね~って言っているのを聞きながらそんなことあったっけ? って思っちゃう。日々漫然と生きているから。
  • なので、思い出なんて無いなって思っていたアイツらとのエピソードも話せば絶対に出てくるはず、はずなんだけど、これが10人くらいの規模の集まりだと思い出すよりも話題が移り変わってしまう。
  • じゃあ思い出話じゃなくて今の話をすればいいじゃんってことなんだけど、大学院に進んで25歳まで学生をやっているというのはレアケースで、人によってはもう社会人7年目とかになる。そうなると今の話のあるあるとかはもうない。

日曜日

  • 修論のフィードバックを待ちながらゆったり過ごす。日曜日なので流石にゆっくり。

  • サーチ・インサイド・ユアセルフを読み始めた。googleの研修を元にしたもので、自分に注意力を向けようね!そうすればEQがあがるよ!みたいなことを言っている。
  • YouTubeとかXとかを見ている時間って結構アイドリング状態に近くて、こういう受動的に楽しめるコンテンツが普及する前の時代だと「何もしていない時間=自分に対して集中が向く時間」だったのかもしれない。これが各種コンテンツに奪われてしまうと情動に対する集中力が下がってしまう、のかもしれない。
  • 自分に対して注意力を向けることの重要性はなんとなく分かるし、それを突き詰めていくことで他者の気持ちや情動をモニターできる(すなわちEQが上昇する)ということは経験的に理解できる。これは知識に拡張することもできるような気がする。理解度の低い状態で臨む講義の内容がさっぱり理解できないのは、知識というものを自分の情動として取り入れていないからなのではないかと思った。トートロジーな気もするが。
    • 少し逸れる知識を自分の情動に取り込む手段として音読が有効な気がすると最近思っている。実際に黙読よりも音読のほうが集中できるというか、読み飛ばしが減る。疑問に感じたところできちんと立ち止まれるような気がする。これは今の自分の知識の体系で説明できないことを口走ったが故に発生する反応な気がする。それは黙読だと自分ごとではないから「まあそういう考えもあるよね」でスルーしてしまう。
  • 良いと世間で言われているので見た。とても良かった。新鮮な内容があるというわけではないが、当たり前のことをきちんと当たり前に言っている。
  • そんな当たり前を検察庁のホームページの説明が誤っているのは結構驚いた。小さい子も見るような名探偵コナンとか刑事ドラマでしばしば用いられている用語だからこそ、犯人という言葉の定義はきっちり教えるべき。
This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.

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